北京の空

 8月の終わりごろ北京に行った。留学中の長女の荷物持ちとして同行したのだが、私の中国語は「ニーハオ」と「シェーシェー」で終わりである。私は、自分の方が“お荷物”にならないかと心配だった。

 出発の当日、台風15号が接近中だった。外国旅行に詳しい友人が「余程のことがない限り国際便は欠航しませんよ」と安心させてくれたが、広島空港に着くと、同日の上海便はすでに欠航が決まっており、いよいよ不安が募った。しかし、北京便は有難いことに予定通りに出発することになり、多少の不安を抱えつつ飛行機に乗り込んだ。

 私たちは大連を経由して、午後7時ごろ、まだ明るい陽の射す北京空港に到着。飛行機のタラップを降りて、中国の大地を踏みしめた。翌日、マスコミの情報で覚悟していたPM2.5のスモッグはなく、北京は意外にも快晴で、秋のような心地よい風が吹いていた。

 大学の留学生寮に荷物を収めたら、私の役目は終わりである。後は用がないので広大なキャンパスを散策し、北京市内を案内してもらうことにした。長女とはいっても4人兄妹の末っ子である。昨年、送り出すときには反日デモの嵐が吹き荒れており、心配の種が尽きなかった。その子が1年間の滞在を経て逞しくなり、驚くほど流暢に中国語を操りながら北京の生活に溶け込んでいる姿を見てとても嬉しくなった。地下鉄に乗るときも、繁華な通りを歩くときも、父が迷子にならないようにと常に気を配り、体調の心配までしてくれるのである。また、父の財布を気遣い、安い料金でいろいろなところへ行けるように計画を立ててくれた。私は、学生寮へと帰る路線バスを待つ間、心の中で「さよなら」とつぶやいた。それは決して別れの言葉ではなく、巣立ってゆくわが子への励ましの言葉であり、もう二度と味わうことができない“今、この時間”への決別を意味していた。それからふと、「人生という旅の仲間である妻や家族と過ごす何気ない時間が、本当はかけがえのない大切なものなのかもしれないな」と、思いつつ見上げた北京の空は、青く透き通っていた。

H25.11月号 陽だまり語録 63

陽だまり語録

あってもなくてもいいけど、あったらいいな、という食後のお茶かコーヒーみたいなエッセイです。「陽気」誌連載(2008.9~2020.12) ペンネーム: ビエン.J.K

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