5分間の話

 今年の2月下旬、教会本部で開催された総合司会者研修会で、講師役を務めさせていただいた。事前研修で講師の役割は、5分間の講話を二つするだけでよいと説明された。

▲哀愁を帯びた後ろ姿で碧い空を眺めるムースのヌイグルミ「ミカ・コッティラ」


「なんだそんなことで良いのか」と、初めは気が楽だった。ところがこの5分間の話というものはとても難しい。

 スピーチの達人として有名だったウィルソン第28代アメリカ大統領は「もし私が10分間のスピーチをするなら1週間の準備が必要だ。15分なら3日、30分なら2日、しかし1時間のスピーチならもう準備ができている」という有名な言葉を残している(編集部注・諸説あり)。比較するのも恐縮だが、私は四苦八苦して原稿を書き、何度も練習してやっと覚えた。こうして用意万端ととのえて本番に臨んだ。

 当日は、担当した組に偶然にも同じ教区からの受講者が二人いた。この人たちを遠慮なく話の「掴(つか)み」に取り上げさせていただいた。お陰でとても話しやすく、大変愉快でおもしろかったと概ね好評だった。係員室に戻り、責任を果たした喜びに包まれながらお茶を飲んでから、やれやれとはっぴを脱いでいると、スタッフから「あれっ先生、どうされたのですか。もう一回、別のクラスで講話の時間がありますよ」と指摘された。想定外だったが、役割をよく確かめていなかった自分のミスなのでしぶしぶ引き受けた。

 次の教室に行って驚いた。先ほど話したばかりの組から、3人の受講者がその教室でのプログラムの司会役としてきていたのだ。「また同じ話か」と、軽く思われては沽券(こけん)に関わると、アドリブを入れて話した。これが大失敗だった。同じ内容の話を同じテンポでしたのにもかかわらず、全くウケてもらえず、あまりにもシ~ンとした反応に落ち込んでしまった。

 どうしてなのだろうかと考えた。分かったことは、本来の対象者はその組の受講者であるのにもかかわらず、たった3人の司会者役に焦点を当てたこと、つまり私の高慢な心遣いが失敗の原因だったのである。その日のうちに帰宅せねばならぬ事情もあり、ため息ばかりで車のハンドルを握るオジさんと化した夜だった。

H30.6月号 陽だまり語録118

 ▲ ミカ・コッティラさん

陽だまり語録

あってもなくてもいいけど、あったらいいな、という食後のお茶かコーヒーみたいなエッセイです。「陽気」誌連載(2008.9~2020.12) ペンネーム: ビエン.J.K

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