「あなたは銀杏のような人ですねと言われたら、どう思いますか?」とインターネット上で発信した。すると「ちょっとショックでしょうね、臭そうで」という答えに代表されるように、ほとんどの方が不愉快に感じるという反応だった。
ところで天理には、市役所から教会本部へと続くイチョウの並木道がある。親里大路と呼ばれ、秋の終わりごろには紅葉の名所として多くのファンに親しまれているところでもある。
初秋、その枝にたわわに実ったオレンジ色の実が強い風に吹かれて路面に落下し、何ともいえぬ臭気を発する。「ふつうイチョウの雌木は街路樹として植えないのに、どうしてかな?」と、またネットに掲示したら、「お酒のあてがないときに、“ちょっと拾ってくるわ”って食べられるように」と分析される方がいた。
確かに香ばしくなるまで煎って堅い殻を割り渋皮を取ると、ほろ苦くかすかに甘いヒスイ色の実が出てくる。時間がなければ茶封筒に入れて電子レンジでチンしても良い。そうか“いりこ(いり干し)”のようなものかと感心した。だが、“いりこ”は出汁も取れるし急場しのぎのお酒の肴にもなるが、「ぎんなん」は水で洗い果肉を丹念に取り除き、何日か乾燥させなければ食べられない。しかも果肉にうかつに触るとかぶれてしまうのである。また、銀杏にはビタミンB6の働きを妨げる成分が含まれており、大量に食べると中毒を起こしやすく、特に解毒酵素の発達していない幼児には危険な食べ物らしい。
「やはり、銀杏(ぎんなん)はやっかいものか」と一人合点していたら「たくましい、堂々としている」と答えて下さる方がいた。なるほど銀杏を“いちょう”と読むか“ぎんなん”と読むかによって大きく印象が違うのである。
つまり「銀杏のような人」とは、個性が強くて近寄りがたいが、誠意をもって接すればヒスイのような美しい心を持つ味わい深い人になる。ただ、油断をすると不愉快なめにあうかもしれない。にもかかわらず、たくましく堂々とした巨木に成長し大勢の人に愛される存在になる可能性も秘めているのである。さて、あなたは銀杏のような人ですねと言われたら、どう思いますか?
H23.12月号 陽だまり語録 40
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