時代

「時代」という言葉を聞くと、我々の世代は中島みゆきさんの歌を連想する。

「今はこんなにつらいけど、そんな時代もあったねと、いつかきっと笑って話せる日が来る。だから、くよくよしないでいきましょう」という意味の歌で、腹の底から響いてくるような彼女の歌声に勇気づけられた人も多くいたに違いない。私もその中の一人で、何度もくじけそうになったとき、励まされたものだ。

 ところで、ここで使われている時代とは何だろうと考えるときがある。奈良や江戸等の時代ではなく、時代遅れとか、「一つの時代が終わった」とか普段何気なく口にする時代のことである。まあ、ある一定のまとまった期間と考えれば簡単なのだが、私たちはどうもいいわけや逃げ口上に、この言葉を使う傾向があるようだ。

 たとえば、「自分たちの時代はこうだった。それに比べて今の若い連中は」と、不満を漏らす。それが年配の人ではなく、20代後半の若者の愚痴だったから思わず苦笑してしまったことがある。ただ、この言葉は「古代エジプトのロゼッタ・ストーンにも書かれていた」「ギリシャの哲学者・プラトンも言っていた」と実(まこと)しやかに流布されているように、昔から使われているようである。つまり世代間の考え方や価値観の違いと、そこから生まれる人間関係の軋轢は、今も昔も変わらずに存在し、「それが今の若い者は」に結びつくのである。

 さて私たちは今、教祖130年祭へ向かう年祭活動の最中にある。子どもかわいい一条の親心をしっかりと味合わせていただく絶好の機会であるにもかかわらず、その思いを自分の都合の良いように勝手に解釈してはいないだろうか。先人達は10年ごとに仕切られた旬の大きなうねりに乗り、それぞれの時代の懸命な活動を通して、確固たる信仰の土台を築き上げてきた。価値観が異なり、時間の流れがいくら速くなろうとも、変わらぬ確かなものがある。「時代が違う」と、いいわけ上手になってはいけない。 

  H27.2月号 陽だまり語録 78

陽だまり語録

あってもなくてもいいけど、あったらいいな、という食後のお茶かコーヒーみたいなエッセイです。「陽気」誌連載(2008.9~2020.12) ペンネーム: ビエン.J.K

0コメント

  • 1000 / 1000