新しい団欒

 単身世帯が増え続けている。国勢調査によれば、東京23区では約49%、実に半数近くが一人暮らしである。さらに全国的に見ても約27%が単身世帯で、2,030年には37%にまで上昇すると予想されている。これに夫婦だけの世帯を加えるとなんと約60%にもなるという。

 こうした状況で家族団欒とか言われてもピンと来ない人がたくさんいても不思議ではない。たとえば、高度成長期以降の“昭和”を象徴するような「サザエさん一家」のように、家族全員が一つのテーブルを囲み、談笑しながら夕食を食べ、時にはお父さんの「バカモーン!」と雷が落ちるという風景は、もはや味わうことが極めて難しいものなのだろうと思う。このような固定化された家族団欒は、私達が過ごしてきた昭和という時代と共に想い出だけが美化されて、遠く離れつつあるのだ。だからといって、人がたくさんいるだけでそれが味わえるのではない。家族だからという甘えから、説明も聞かず頭ごなしに叱ったり、理屈をこねて反抗したり、誰かを困らせ傷つけているかもしれない。しかもお互いがそのことに気付かず、相手のせいにして心がバラバラになり、安らぎや団欒を他の場所に求めている場合が多いのである。

 また、現代の日本社会は「無縁社会」とまで言われるほど家族や地域とのつながりの薄い社会に変貌しつつある。迷惑さえかけなければ何をしてもいいという考え方が横行し、助け合って生きることや地域との関わりなど、煩わしいと思う傾向さえある。だから家族団欒などいうものは、古臭くて無用な長物として倉庫の奥深くしまい込まれているかのようなのだ。しかし、家族団欒とは、単に家族が集まって談笑している姿だけではないと思う。

 本当の団欒とは自分以外の人の助かりを願う心、すなわち、思いやりのネットワークなのだ。インターネットもスマホも携帯もそのための道具に過ぎない。私たちにとって、これらを上手に使い、お互いの考えや立場を尊重して相手を思いやる気持ちを育むことが大切なのだ。たとえ一人でいても、心と心を繋いで味わう団欒もある。

H26.6月号 陽だまり語録 70 

陽だまり語録

あってもなくてもいいけど、あったらいいな、という食後のお茶かコーヒーみたいなエッセイです。「陽気」誌連載(2008.9~2020.12) ペンネーム: ビエン.J.K

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