金茶の紬

 今年の夏は例年になく、たくさんの方から桃を頂いた。早速、神様にお供えし、信者さんに配ったり、家族でいただいたりした。

     ▲母が書いたものです。

 桃は食べる直前に冷やすと、より一層美味しく食べられる。しっとりとした皮をむくと、白く瑞々しい果肉から上品な香りが立ち、爽やかな甘みが口いっぱいに広がる。その中に従姉妹(いとこたち)から届いた桃があった。母は、自分の姪たちからそれぞれに届いた桃を姉の遺影に話しかけながら食べたという。

 彼女たちの母親である伯母は、5年前に亡くなったが、母とは歳も近く、小さい頃からずっと仲良しだった。お盆のころ、母と従姉のお宅を訪問し、伯父・伯母の御霊様にお参りした。リビングでお茶をいただきながら、「あんたらのお母さんの写真と一緒に食べたのよ。おいしかったわ」と、母が桃のお礼を述べた。

 すると従姉(いとこ)がついこの間あったという不思議な話をしてくれた。母親の着物を久しぶりに出して、虫干したら暫くして、妹から電話が掛かってきた。「お母さんが夢に出てきてね、懐かしいからついて行こうとしたら、来るなと言われたのでやめたけど、大好きだった茶色の着物を着ていた」と言うのである。

 それを聞いて従姉はゾクッとした。それは、まさに虫干しした着物、金色がかった明るい茶色の「金茶の紬(つむぎ)」だったからである。「お母さんは、お気に入りの着物を出してくれて、きっとうれしかったんだろうなあ。お母さんがいつも見守ってくれていて良かったね」と、私は言った。

 おふでさきに

“どのよふなゆめをみるのもみな月日 まことみるのもみな月日やで(12号-163)”とある。どんな夢を見るのも全部神様が見せてくださっている。また実際に起きたことや現実を見るのもすべて神様のなされることである。だから、きっと神様が夢を通して何かを伝えてくださろうとしたに違いない。

 私もときどき亡くなった人たちの夢を見ることがあるが、なかなかそのメッセージに気づかないし、ついて行って尋ねる勇気もない。向こうの世界との往復切符があったらいいけど、片道だったら困るからね。

R2.11月号 陽だまり語録 147

陽だまり語録

あってもなくてもいいけど、あったらいいな、という食後のお茶かコーヒーみたいなエッセイです。「陽気」誌連載(2008.9~2020.12) ペンネーム: ビエン.J.K

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