磨き上げれば 「榁木の床柱」 by Vien.John.Kandori
十数年前のことだが、広島県の山間(やまあい)にある静かな町の教会に参拝させていただいたことがある。町内に分水嶺を持つことから「上下」と称され、かつては石見(現在の島根県太田市を中心とする地域)の銀を中継する江戸幕府の天領として地方の交通経済の中心的役割を果たした町である。また、明治の作家田山花袋の小説「布団」の舞台ともなった歴史と文化の香る町でもある。
その教会で講話を終え、通していただいた立派な客間には、たっぷりと墨を使い、雄渾でありながらも実に爽やかで素直な筆致の見事な書が掛けられていた。
しかも少し視線を変えると黒髪の優しげな女性の後ろ姿のようにも見え、何も言えずじっと見入っていた。
すると、その教会の重鎮である先生が「本席様の御真筆ですよ」とお教え下さり、なるほどなあと改めて感動した。それからしばらくして、すっと目線を脇に遣ると、複雑に捻じ曲がり瘤(こぶ)だらけのつやつやと輝く見事な床柱に気づいた。
それは、まるで「御真筆」を引き立てるかのように、床の間に充分な重みと風格を持たせ、しかもドキッとさせる存在感を醸し出していた。
「それは、モロウギという木でね……」と、役員先生は遠い日の初恋を語るかのような優しい表情を浮かべ床柱の由緒を説明して下さった。
▲本席:飯降伊蔵先生の書「到道」(正しい読み方かどうか不明)
『上下分教会客間床柱の由緒』を元に想像すると、次のような情景が浮かび上がる。
昭和32年の早春だった。先生が、町の南に隣接する甲山町のT氏宅の講社祭に運んだ時のことである。
近くにある裸山の頂上をふと見ると、ポツンと一本の古木が立っている。
そこでT氏に尋ねると、
「なんでも、モロウギという木だそうです」と、答えられた。
「もしかすると……」
先生は、期待に胸を膨らませながら山道を案内していただいた。
そして頂上まで登り、傍で見て驚いた。
それは常に強い風雨に曝される山頂にしっかりと根を張った、今までに見たこともない「榁(むろ)」の捩じれ大木だった。
持ち主を訊けば、先生の友人、K氏であるという。
当時教会は移転建築の計画中で、普請の総世話役に抜擢されていた先生は、早速友人宅に向かった。
「あの山のモロウ木をみせてもろうたよ。突然じゃが、僕に譲ってもらえんじゃろうか」
「えらい、突然じゃのう。ほんまに」
「実はこの度、上下分教会の移転普請をすることになって、僕はその工事の総世話役をすることになったんじゃ」と言いながら
先生は、いつも持ち歩いている設計図を鞄(かばん)から取り出した。
「今この客間に力を入れとるところなんじゃ。将来、『真柱様』いうてな、天理教で一番偉い人が来られるかもしれん。上下町としても宗派の本山管長が巡教されたことはない。こりゃあ町としても栄誉なことじゃと思わんか」
「先の話じゃけえど、その管長さんが座る客間に据えるんじゃ。予算はようけないんじゃ。ほうでも、なんとか頼めんかのぉ」
「ちょっと待て……」
練炭火鉢にかけられた薬缶(やかん)の蓋(ふた)が湯気でカタカタ動いていた。
K氏は腕組みをして、しばらく考えてからおもむろに口を開いた。
「そんな大物が来て座られる客間の床柱なら、献納させてもらうよ」
「えっ、ほんまか。そりゃあ嬉しいわ」
「あんた、簡単に『嬉しい』言うけど、あの木の値打ちは知っとるんかね」
「もちろん、分かっとるよ。ハハハ」
「先日、10万円で売って欲しいという客が来たところじゃけぇど、20万でも駄目じゃ言うて断ったところじゃった、ハハハ。ところで、一杯やっていかんか。」
現在約20万円の大卒初任給が、当時1万3千円くらいであったから単純に比較できないが、今の値段に換算すれば恐らく300万円近い逸品であろう。
先生は、深く、厚くお礼を言って、早速切り出して教会に持ち帰り、大勢の信者さん方と共に仕上げのひのきしんにかかったが、ねじれ曲がりこぶができた「榁(むろ)」の樹皮を竹べらで全部慎重に剥いでから丁寧に磨き上げなければならなかったので、大変なことだったということである。
300万もの値打ちがある木をポンと献納したK氏の心意気と気前の良さは、賞賛されるべきものである。
しかし、そこに至るまでには、きっと教会につながる方々や先人の先生方の徹底した神一条、助け一条の伏せ込みがあったに違いないと、私は思うのである。
後日談ではあるが、真柱様が上下分教会に入りこまれたのは昭和55年のことであった。
それよりもひねた木からだんだんと
ていりひきつけあとのもよふを
(おふでさき 第七号 十九)
とお教えいただくように、
たとえどのように厳しい過酷な環境に育ち、複雑に捩じ曲がりひねくれていたとしても、神様に引き寄せていただき教えの理によって心を磨き上げ、「よふぼく」として生まれ変わったならば、この見事な床柱のような役割を果たせるのではないだろうか。
H16.4月号 「陽気」誌連載エッセイ「日々の暮らしの中で」・『磨き上げれば』より
著者一部抜粋して転載
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