面倒くさいなあ…

「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。」『青春の詩』(サムエル・ウルマン 宇野収、作山宗久訳 )の冒頭の一節である。

 戦後、多くの日本人に夢と希望を与え、「…ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき はじめて老いる」と、その後の高度成長期を支えた中高年の方々から絶大な支持を得てきた不朽の名作でもある。

 60歳を超え、身体も心も老いを意識するようになってきた昨今、改めてこの詩を読むと確かに勇気づけられ、反省するべきことに気づく。特にこの頃、面倒くさいなあと思うことがよくあるのだ。たとえば、家電などの取り扱い説明書を見ながら設定したり操作をすることーーー若い頃、苦とも思わなかったことが煩わしい。

 また、スマホで検索するとき、IDとパスワードを要求されるとたちまち面倒になりキャンセルしてしまう。まあ、最近までログインだのアカウントだとかいう用語の意味がよく分からなかったのだから無理もないが、なんかいろんなことが面倒くさくなってきたのである。

 また、批評、批判、批難、皮肉等を多く含む辛口の言葉が増え、最後に

「まあ、よう分からんけどね」

と付け加えて、自分の発言の逃げ道までも用意できるようになった。

 このままではいけないと思い、何かを始めてみるものの、気力と体力が続かない。情けないことである。

 しかし、ついに昨年から「生まれ変わったら大使になるぞ」という愉快な夢に向かって、独学でフィンランド語の勉強を始めた。

 ▲英語版フィンランド語入門書

 フィンランド語は、欧州の他の言語とは単語や文法が大きく異なり、とても難しいが、夢を持つことは楽しいことなのだ。

 ただ、私の場合「大使になれるとしたら早くても70年後、その時にはAIが進歩して誰とでも簡単にコミュニケーションが取れるようになっているはずだし、AIによって統治された世界が仮想空間上の国家形態へと変化し、大使も必要なくなっているかもしれないよ」と、こんな面倒くさい毒舌を慎む方が先だな。

R2.4月号 陽だまり語録 140


陽だまり語録

あってもなくてもいいけど、あったらいいな、という食後のお茶かコーヒーみたいなエッセイです。「陽気」誌連載(2008.9~2020.12) ペンネーム: ビエン.J.K

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