やぶへびだった

大学生の頃、神戸に住んでいた。

大学のキャンパスは六甲山系の中腹にあった。そのすぐそばにあった学生アパートの西側には六甲川が流れ、窓から神戸港が一望できた。

▲VJK 18歳のころ

 

 暑い日など、阪急六甲駅から長い坂道を登って行くとあきらかに途中から涼しさを感じるようになり、驚いたものだった。

 入学後しばらくは、美しい夜景を眺めながら「良いところに来たなあ」としみじみ思った。しかし、景色では腹がふくれず、残念ながらすぐに飽いてしまった。

 当時はコンビニなども皆無だったし、食事つきの下宿だったので冷蔵庫は部屋になかった。また、環境が良いだけに周辺に飲食店が少なく、下町まで降りていけば深夜営業の店があるのだが、帰りの坂道を考えるとそれも億劫だった。

“こんなとき車があったらなあ”と、玄米茶の玄米をポリポリとかじりながら思ったこともある。だが、家からの仕送りはなく奨学金とアルバイトで“生活するのがやっと”という学生の身分では車など持てるはずもなく、朝まで腹をすかしているのが常だった。

 卒業後しばらくして、大学の後輩とそんな思い出話をしていると、「実は、ぼくの兄貴がね」と彼が教えてくれた話が忘れられない。彼のお兄さんは、他県の大学に通っていたのであるが、あるとき車を安く手に入れる機会を得た。そこでお兄さんは生活費を切り詰め、一生懸命アルバイトをして毎月3万円を捻出する目途がついたので、資金計画を説明した上で両親の許可を得ようとしたのである。ところが、「その月から、兄貴は仕送りを3万円減らされましてねえ…可愛そうに、これがホントの“やぶへび”ですね」と、後輩は全然可愛そうな顔ではなく、嬉しそうに話してくれた。

 誠に気の毒な話だが、実に痛快であった。彼のお兄さんは身にしみて貴重な教訓を学んだに違いない。この経験がどれほど後の人生に役立つことか、想像していただきたい。

こういう家庭教育ができる親が年々減ってきていますね。

できればマネをしてみたいが、これが簡単なようで、なかなか難しいと思いませんか。

H22.2月号  陽だまり語録 18

陽だまり語録

あってもなくてもいいけど、あったらいいな、という食後のお茶かコーヒーみたいなエッセイです。「陽気」誌連載(2008.9~2020.12) ペンネーム: ビエン.J.K

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