ある日のこと、近所に住む親戚から珍しいというか奇妙な魚をいただいた。この家には漁師の友人があり、トリ貝(刺身が最高)やタイラギ貝(6分の1にカットされた黒っぽいピザのような貝の中にプリプリの大きな貝柱が入っている)のように生きている姿をめったに見ない貝や大きなニベ、スズキ、タコ、あるいは店頭には並ばないような珍しい魚も届けて下さるのである。
その日いただいた魚は「エソ」だった。
体長約40cmくらい、顔つきは一見してヘビやトカゲのような爬虫類を連想させ、暗い眼の後ろまで裂けた口には鋭く小さな歯がびっしりと生えている。
しかもこの魚、昼間は海底の泥の中に休み、夜になると活動を始め、近寄ってくる小魚や甲殻類をいきなりガブリといくらしい。
では、食べると旨いのかといえばとんでもない。三枚に下ろされた透明感のある白身は弾力があり一見旨そうだが、硬い小骨がうんざりするほど多く、「煮ても焼いても食えない」とはこの魚のためにあるのではないかと思えるほどである。
“顔は不気味、性格は凶暴、煮ても焼いても食えない”とは良いところなしだが、それは人間の側から評価しただけで、エソにしてみれば、
「エッ、ソウ?でも、ワシ等“エソ”らしく生きとるだけで何にも悪いことしとらんよ」と、抗議の一つもしたくなるに違いない。
ところが、この魚、さつま揚げにすると大変な美味なのである。根気よく小骨を取り除いた身をすり鉢に入れ、塩、酒、砂糖を加え、ていねいに擂粉木(すりこぎ)で擂る。これを小さめのハンバーグくらいの大きさに形を整えて油で揚げるのだ。
揚げたてをハフハフといただく。何とも言えない歯ごたえは、こしがあってむっちりしてしかもふわっとし、味はほんのりと甘く香ばしく飛び切り上等である。どんなに取柄(とりえ)のないような魚でも、調理の仕方一つでこんなにも上品な逸品に生まれ変わるのだ。
私は、箸を持つ手を止めて、キツネ色に輝くさつま揚げをじっと眺めた。
「もしかすると人間だって同じようなことが言えるんじゃないかな」
そんなことを考えながらまた一口齧ると、奥深い味がジワーッと広がった。
H20.10月号 陽だまり語録 2
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