手のぬくもり

 子供たちがまだ幼いころ、時々近所の保育園まで送って行った。

寒い日の朝は、そっと握った小さな手をポケットに入れて暖めてやった。

強く握れば壊れてしまいそうな、その手のぬくもりが、僕に親としての責任と自覚を与えてくれた。

 [チチキトク、スグカエレ。ハハ]二十歳の春、まるで古いテレビドラマに出てくるような電報を受け取った。学生の身ですぐ帰れるすべはなく、一睡もせずに朝を待ち、神戸から新幹線に飛び乗った。故郷の岡山の病院に駆け付けた時、父はもう口が利けなかった。どんなに苦しかったのだろうか、人工呼吸器で生かされることが。あんなに太く、逞しく、僕達を抱き上げてくれた父の腕が、枯れた枝のように痩せ衰えて……何も言えず涙をこらえるのが精一杯だった。

 おそらく朦朧とした意識の中だったのだろうが、僕に気づき小さく頷いて差し伸べてくれた手の温かさを決して忘れない。父の手を通して「後は、頼むぞ」という強烈なメッセージが、僕の全身を駆け抜けていった。


 陽気ぐらしを目指してアフリカおたすけを志し、「世界中の人をたすけるのだ」と、いつも大きなロマンの風呂敷を広げて豪快に笑う人がいた。ライオンのような見事な髭を蓄えた風貌から“シンバさん”と親しまれ、会えば必ず、ニコニコして大きな分厚い手でしっかりと握手を交わしてくれた。

 だが、如何なる神様の思召か、67歳の働き盛りでこの世を去った。大切な人の出直しを心から惜しんだ。でも、今頃はきっと歌のように“千の風”に乗り、「世界中どこに行くのも自由自在、ワハハハ」と喜んでいるに違いない。

 あの大きな手の温もりに、もう出会うことはできないけれど、月に一度、本部の旧総合案内所近くに聳える“シンバの松”と呼ばれていた松の下には、彼の仲間やその志を受け継ぐ多くの人たちが今も集まっている。

 今度は僕たちが、自らの手を通して、あったかいメッセージを多くの人たちに伝える番だ。

H21.4月号 陽だまり語録 8

陽だまり語録

あってもなくてもいいけど、あったらいいな、という食後のお茶かコーヒーみたいなエッセイです。「陽気」誌連載(2008.9~2020.12) ペンネーム: ビエン.J.K

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