いろいろと世話になった友人にお礼を送ろうと思い、数年前に彼が工場長として単身赴任していた町へ出かけた。「あまり有名じゃないけど、うまい酒を大事に造っている」という造酒屋がそこにあるのだ。のどかな田園風景の中に国分寺の五重塔が見える。
もう少し早ければ、一面のレンゲ畑に囲まれて美しい風景が味わえたはずである。観光施設の駐車場から少し歩いて、旧山陽道に面する蔵元直売の店舗らしい木造家屋のガラス戸をガラガラとあけた。
店には誰もいない。「ごめんください」と何度か呼びかけると、奥から優しそうな年配の女性が現れた。「親戚の者からいただいた“しぼりたての原酒”がとてもおいしかったので」と同じものを求めると、冬季限定の予約制で、残念ながら今はないということである。少し落胆したがそのまま帰るわけにもいかず、陳列ケースに並ぶ酒を一つずつ尋ねると丁寧に説明して下さった。
その中の数本を選んで送り状に記入しながら他愛のない話をした。そのうちにかつて酒造りに従事していた知人の話を持ち出し、つい乳酸菌がどうのこうのと口をすべらせた途端、彼女は一瞬にして怯えたように表情を曇らせ、口をつぐんでしまったのである。
乳酸菌の中には日本酒にとって大敵の“火おち菌”などもある。私は慌てて「素人がいらんことを言ってすいません」と詫びたが、せっかくのいい雰囲気に水を差す結果となってしまった。「知ったかぶりをして余計なことを言うから気まずい思いをするのだ。高慢な心使いは、なかなか治らんなあと」と、帰途の車中でつくづく反省した。
「身上・事情は道の花」という言葉がある。病気や困難な問題の中に神様の深い思惑を悟り、そこから自分自身の心得違いをさんげすることによって、先でより素晴らしい幸福の花を咲かせることができるという教えである。とすれば、「自慢・高慢は道のジャマ」である。余計なものを背負っているから、引っかかったり当たったりして、本来通りやすい道をわざと通り難くしているのかもしれない。
H22.9月号 陽だまり語録 25
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