今年の正月、天理市にある教会本部にお参りした。大きな神殿の礼拝場では三が日にお供えされていた餅の鏡開きが行われ、とても賑やかだった。
年末に全国からお供えされた鏡餅の総重量は約42トン、大きいもので直径80㎝、重さが30㎏もある。この鏡餅が数種類の特別な包丁で食べやすい大きさに切り分けられた後、毎年1月5日から7日までの3日間、炭火で一つずつ丁寧に焼かれ、すまし汁に水菜を添えた美しい雑煮として何万人もの参拝者に振る舞われるのである。この一世紀以上も続く伝統行事「お節会」が開催される前日、鏡開きの賑やかさとは対照的に神苑は静かで、しっとりとした趣があった。
傍らを歩く、東京六大学で野球を続けていた甥は、正月くらいしか休みが取れず、卒論の提出日が迫り、やや焦り気味だったものの、やっと「約束」を果たせることに少し安堵しているようだった。彼は高1だった秋の地区大会試合中に大けがをし、野球選手生命を絶たれるかもしれない試練に直面したことがある。そのとき「どんなに練習が忙しくても必ず別席を運び、おさづけの理を戴く」と誓ったのである。
あれから7年、今年から社会人でも野球を続けられることが決まり、喜びを胸にしてのおぢばがえりだった。おさづけの理を戴いたその夜、同行していた息子達と共に天理市内のラーメン屋で簡単なお祝いをした。
食事をしていると、3人の外国人が戸を開けて入ってきた。彼らは食券の自動販売機を見つめ、店内を一瞥すると肩をすくめて出て行った。ピンと来た私は後を追いかけ、「お力になりましょうか」と声をかけた。すると自転車の解錠をしようとしていた男性が顔を上げてニコッとした。おそらく評判を聞き、楽しみにして友人たちを連れてきたのに日本語が読めず、とても残念だったに違いない。
食べながら話をすると、彼らはニューカレドニアからきた柔道の選手たちだった。ちょっとの勇気が必要だったけど、いろんなことが話せてとても楽しい夕食会となった。ほんとは凄く不安だった。でも、ちょっとの勇気を出せた後の喜びは大きく、じわじわと味がでてくるのだ。
H28.9月号 陽だまり語録 97
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