平成28年1月26日。天理市の教会本部で教祖130年祭が執行され、神苑は国内はもとより世界各国・地域から帰参した20万人を超える人々で賑わった。
この模様はそれぞれのメディアやインターネットを通じて、遠く離れた地域や年祭の直前に襲来した大寒波と雪のため参拝を断念せざるを得なかった方々にもリアルタイムで伝えられた。
また、スマホ等で動画や音声を用いて親しい人たちと双方向の交信を楽しむこともでき、50年前には夢としか考えられなかったことが情報通信技術の発達によって現実となっている。当時「マグマ大使」というTVヒーロー番組があり、私たちは毎週ワクワクしながら見ていたものだ。この中で主人公の少年が「マグマ大使!」と叫び、電子笛をピロピロポーと鳴らすと、金色のロケット型変身ロボットが飛んできて、悪者を退治してくれるのであった。
現代では、少し形は違うが、身体的あるいは社会的な危険が身近に迫ったとき、携帯電話やスマホ等の緊急ダイヤルで通報すれば、様々な公的サービスを受けることができる。民間保険契約によって弁護士等に適切なアドバイスを求めたりすることも可能なのだ。また海外や遠方にいる家族や親しい友人たちとも無料の通信アプリを用いて話すこともできる。まさに子どものころ夢に見たテレビ電話が実用化されている。
しかし、50年前の生活と現在を比較して、だれもが十分な幸福感を味わっているだろうか、失ったものはないのだろうかと考えてみた。たとえば、期待と不安を織り交ぜて待ち焦がれていた手紙を開封するときのわくわくした気持ち。時刻表や地図を広げながら旅の計画を立て、まだ見ぬ景色や人との出会いを想像して楽しむ、ゆったりとした時間等、列挙すればきりがない。
「そんな余裕はないよ」と言われたらそれまでだが、インターネットなどを通して手に入れた情報や知識が本物かどうかを見極める力は、決して一朝一夕に身に付くものではないと思う。
便利さと引き換えに失いつつあるものは、ものごとの本質を見る力と、「待つ」ことを楽しむ心のゆとりなのかも知れない。
H28.4月号 陽だまり語録 92
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