私の故郷、倉敷市玉島には、奈良時代に起源を持つ曹洞宗の古刹・円通寺がある。江戸時代後期の禅僧良寛が22歳から12年間修業した寺でもあり、この寺を中心にする円通寺公園は玉島の町を一望できる高台に位置し、桜をはじめとして四季折々の花を楽しむことができる。良寛様は和歌、狂歌、俳句、漢詩などに秀で、書の達人でもあった。諸説あるが、「散る桜 残る桜も 散る桜」は、良寛辞世の句として有名である。
▲画像は、我が家の近所にある幼なじみのお寺
―――時折強く吹く春風に散りゆく桜の花は哀しい。しかし、残る花だっていつかは必ず散ってしまうのだ。人生も斯くの如く儚く、無常である。
と、この句の意味を、私は単純に考えていた。
ところがある時、この俳句に込められたもっと深い意味に気づいたのである。
妻の父親が亡くなり、告別式に参列した後、火葬が終わるのを待っているときだった。都会の火葬場の待合室はたくさんの人で込み合い、故人を偲んで話す声があちこちから聞こえた。その時、唐突に思った。
―――みんな死ぬんだ。あの人も、この人も、こどもだって、そして自分もいつか必ずと。すると、不思議なことに恐れよりも妙な安心感が湧いてきた。それから、不意に「散る桜 残る桜も 散る桜」という俳句が浮かんできたのである。
桜の花が咲き、散る。しかし、翌年にはまた新しい花を咲かせ生命を繋いでいるではないか。だから、死は楽しみである。ただ、大切なことは「親・子・孫」という順番とタイミングを間違えないことだ。この句には、明るい悟りが込められているに違いないと思った。
お道では、死ではなく、出直しと呼ぶ。親神様からお借りしている身体をひとまずお返しし、しばらく親神様のふところに抱かれた後、新しい身体を借りて生まれ変わってくる。死は人生の終わりではなく、新しい人生の出発を意味するのである。
叶うことなら、いつかきっと来るその時には、旅の装いでスーツケースを持ち「それじゃあ、行ってきます」と出かけるように出直したい、桜散る春に。
陽だまり56(5)
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