私がまだ幼かったころ、「ようしてくれたなあ、ネコの子よりゃあ、マシじゃ」
と祖母がよくほめてくれた。家のお手伝いや何か良いことをすると必ず言ってくれた言葉だが、あれってほんとにほめ言葉だったのかなあとふと思うときがある。
▲住み込みネコはシンバかドラか
しかし、北海道に住む友人H氏宅の“住み込みネコのラッキーちゃん”を知った今、多分そうだったのかもしれないと思えるようになってきた。
ーーー教会の玄関が開きチャイムが鳴ると、一目散に玄関へ駆けつけ、ちゃんとお座りをしてお客さんをお迎えする。寝ていても、飛び起きていくのである。
また月次祭の日には部屋の隅でじっとおとなしくしているのだ。さらに深夜、H氏がたまにトイレに起きると必ず後を追いかけトイレの外で待つのだが、少し用が長くなると心配して家内を起こしに行くんですよ」と、嬉しそうに話してくれた。こうなるともう家族も同然で、可愛くてしょうがないという気持ちがひしと伝わってくるーーーかと思えば、何にもしないメタボネコもいる。また腹の立つネコも。家の周辺に毎日糞をしたり、家庭ゴミを食い散らかしたりして迷惑千万である。
さて、私はどうなんだろうか。自らの行いを振り返ってみた。すると、恥ずかしながら次のような事実が浮き彫りになった。教会長という大切な立場を与えていただいているが、逃げの口実が上手くて真実が少ない。勉強だけはよくするが実行が伴わない。人の目は気にするが神様の目は気にならない。つまり気が弱くて八方美人なのである。
その結果、おたすけの現場で相手に同情しすぎて理が曇り、結局相手も助からず自分には幻滅するという情けないことになるのだ。これではいけないと「神様に好かれる努力をしよう」と誓いを立てた。やはりようぼくの役目は「つとめとさづけ」であり、形にとらわれない「においがけ」である。評価もされず実績が目に見えなくても、信じた道を熱いハートで毎日泥臭い退屈に思える努力を続けていくことが大切なのだ。そうしなければ、言い訳だけが上手になってしまう。
さて、今の自分は「ネコの子よりゃあマシじゃ」と、ほめてもらえるだろうか。
うーん、微妙だなあ…。H21.5月 陽だまり語録 9
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