劇研

 京都の夜、とは言っても先斗町(ぽんとちょう)の夜ではない。そんな嬉しい(笑)元へ、粋な話ではない。築104年を誇る日本最古の現役学生寮・K都大学吉田寮でのことだった。

 40年前のその日、筆者の所属するK戸大学応援団では、団史上初めて「神戸~京都マラソン」が開催された。とはいってもタイムを競うわけではない。好き勝手な衣装でひたすら神戸から京都を目指すだけなのである。無論歩いても良いし、途中棄権も可である。

 この日のために練習を積んできた若者たちは約70㎞の道のりを走破し、ヘロヘロになって吉田寮に到着した。

 宿泊する予定の部屋の隣を見ると『劇研』と名札がかかっていた。それを見た友人(現在は投資コンサルタントという偉い人になっている)が「激烈拳法部とちゃうか?」と冗談を言った。「演劇研究部に決まっとるやろ、お前はアホか」と、一斉にブーイングを浴びて友人はシュンとなった。

 私は伴走車の助手で参加していたので、夕食の手配をするためにもう一人の団員と出かけた。市内にあるセミの鳴き声を連想する名の店に入り、席に着くなり「餃子100人前」とオーダーした。店員は怪訝(けげん)な顔をしていたが、ハッと何かに気づいた表情で「お客さん、”どっきりカメラ”とちゃいますか?」と人気テレビ番組の名をあげた。「後から20人ほど来るから」と説明しても、まだ少し疑っているようだった。

 さて餃子100人前を完食して満腹、長距離を走った疲れもあり、ニンニク臭い息をまき散らしながら眠りこけていた京都の夜、午前2時ごろのことだった。

 突然、学生服の集団が室内に乱入してきた。「ウオーッス!我々はK戸大学応援団を起こしに来た!」と檄(げき)を飛ばし、太鼓を叩いて第一応援歌「新生の息吹」を歌い始めたのだ。応援歌には礼を以て応えなければならない。私たちは寝ぼけまなこを懸命に開き、直立不動の姿勢を保った。K都大学応援団の夜襲だったのである。

 思い出の京都の夜から、この「激拳」のような応援はもうこりごりだけど、重い病気や複雑な事情が劇的に好転する研究会ーーー「劇研」があったらいいなあ、と思った。

H29.12月号 陽だまり語録 112

陽だまり語録

あってもなくてもいいけど、あったらいいな、という食後のお茶かコーヒーみたいなエッセイです。「陽気」誌連載(2008.9~2020.12) ペンネーム: ビエン.J.K

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