私は「麺食い」である。
母方のルーツが高松なので、私の中にも「讃岐うどん王国」のDNAが濃厚に引き継がれているのだろう。一日に一度は麺類を食べないと何か物足りない。最近は高速道路の料金が安くなったお陰かどうか、週末や祝日には海を渡りわざわざ手打ちうどんを食べに行く人が周囲にもたくさんいるが、私は食べたくなったら自分で打つ。
無論プロの足元にも及ばないが、打ちたて茹でたてのうどんはツルツル、シコシコの中にモチモチっとした味わいがあり、一度食べたら病みつきになる。
手打ちうどん作りは比較的簡単で(本当は奥が深いのであるが)、麺棒さえあればたいていは台所にある道具で代用できるので、ときどき少年会行事に取り入れて教会で開催したり、近所の中学校から頼まれてボランティアで教えに行くこともある。
子供たちと作る時は4,5人の班に分かれ、わいわいしゃべりながらみんなで協力して作るのであるが、出来立てをすぐに食べられることがなんといっても一番の楽しみである。そんな時、丸くまとめたうどんの生地を麺棒に巻きつけて平たく伸ばしていると
「一生懸命やってるのに、なかなか伸びんわぁ、先生」という声がよく上がる。しかし、向きを変え、クルクルクルと麺棒を転がし生地を広げると、不思議にも隠れていたところがキチンと伸びているのである。「そうだなあ」と言いながら、ふと、思い出したことがる。
かつて、自分では一生懸命やっているつもりなのに成果が上がらず、くじけそうになった時、「思うような結果が表れないからといって不足をするな。根を張る時は花も咲かんし、実もならん。しかし、いつか必ず尽くした努力が報われる時が来る。だから黙って頑張れ」と、ある方から教えていただいたことがあるのだ。そこで私は、
「頑張っているときはなかなか見えないけどね、こうやって生地を広げてやると見えないところがちゃんと伸びているんだよ」と、生徒たちに向ってかっこ良く言った。
やはり手打ちうどんは奥が深い。
H22.8月号 陽だまり語録 24
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