私は“麺食い”である。1日に1度は麺類を食べないと物足りない。もちろん年越そばもいただいた。蕎麦は栄養価が高く消化が良い。その上、延命長寿と金銀を寄せるという縁起物で、大晦日に蕎麦を召上がった方も多いと思う。麺食いの私は、うどん、蕎麦、ラーメン、パスタなど、時々自分で打って食べる。
無論プロの足元にも及ばないが、「手打ちうどん作り」を少年会行事に取り入れたり、近所の中学にボランティアで教えに行くこともある。楽しみながら作り、打ちたてをみんなで食べるのが大好きなのである。
しかし、蕎麦だけはなかなか人前に出せるものが打てない。技術の未熟さはもちろんのこと、つなぎと水の量が原因らしい。この“つなぎ”とは、一般的に小麦粉、山芋、卵などを指し、地方によってはオヤマボクチという山菜の茸毛(じょうもう:葉の裏の繊維)を利用する信州の富倉(とみくら)蕎麦や布海苔(ふのり)を使う新潟の「へぎそば」などもある。十割蕎麦という熟練の手打ち製法等もあるが、蕎麦粉8割を2割の小麦粉でつなぐ「二八蕎麦」が一般的である。
つまり、“つなぎ”とはまとまりにくい蕎麦粉に粘りと適度な食感を与え、細く長く伸ばす役目を果たすのである。プツプツと切れやすい人間関係にもこの“つなぎ”があれば、粘りと味わいを与え各自が本来持っている味を生かすことができるのだろう。しかし、そのためには心を低くし、それぞれの親々に喜んでもらえるような働きや心の使い方が必要であると思う。と、このように書いていると懐かしい想い出が浮かんできた。
かつてある教会で講話の後、昼食に蕎麦をご馳走になったことがある。しっかりとした歯ごたえのある、素朴な味わいの中に香り高く、かすかな甘みがある美味しい蕎麦だった。同席しておられた役員さんご自慢の手打ちと伺ったので、「僕は蕎麦が大好きでね、自分でも打ってみるんですが、なかなかおいしい蕎麦が打てません」と、話したところ「そりゃあ先生、つなぎが足りませんわ」と、即座に鋭い指摘をいただいた。なるほど、手打ちの蕎麦は難しいはずだ。
H22.3月号 陽だまり語録 19
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