昨年の6月、ようぼく歌手のTさんが我が家を訪ねて来られた。「近くで仕事がありましたから」と、お土産に彼の郷里(ふるさと)のポンジュースを持ってきて下さった。突然の訪問で少し驚いたが嬉しかった。
▲1985年 道友社から発刊された本です。すごい執筆者たちですね
そのTさんが音訳ひのきしんもしていると、教会本部の社会福祉課に勤める友人が教えてくれたーーー音訳とは視覚に障害がある方のために文字などを音声化することで、音訳で録音された図書を音訳図書あるいは録音図書と言う。
その中に『陽だまり語録』もあると友人から聞き、とても嬉しくありがたく思っていたら、Tさんから電話があった。
5月号のエッセイ『広州の風』の中で記述した「高鉄」の読みやアクセント、引用した中国語「人山人海」の発音の仕方等を尋ねられた。音訳ひのきしん者の方々は、読者に正確に伝わるよう発声、高低、間の取り方等に細心の注意を払いながら朗読しているのである。
私は迂闊なことに、聴いて楽しんで下さる方もおられるのだということに気づいていなかった。読めば分かってもらえるに違いないと安易に考えていたのである。これからは読んでも聴いても楽しんでいただけるよう、気取らずに分かりやすい言葉を使おうと改めて思った。知ると気づくの違いはそこにある。
気づいたら、よく考えて、ちょっとだけ実行してみよう。
たとえば、もし自分たちの仲間の一人が聴覚に障害があると気づいたら、たとえ会議にパソコンテイクやスマホなどを利用した要約筆記ツールがあったとしても、画面表示される言葉の入力のために早口な発言を控えたり、時には間を取るなどの配慮をしてみたらどうだろうか。便利な道具や方法を採用するのは最初に気づいた人の行動である。
しかし、それがあるからと安心していると、知っているだけで終わってしまう。じゃあ、自分は何をすればいいのかを考えて具体的な行動を起こしたり、いろいろな機会を見つけて学習することも気づきの一つだと思う。
一人ひとりの動きは小さくても、共感する人が一人ひとりと増えればより大きな動きへとつながるのだ。――気づいたら、考えて動く。難しいけど、やってみよう。
H29.7月号 陽だまり語録 107
▲35年前のものです
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