眉間のしわ

 徒然草に「賢げなる人も 人の上をのみはかりて おのれをば知らざるなり。我を知らずして 外を知るという理 あるべからず」という段がある。紙に書いて机の右上に貼り、文字通り座右の銘にしているのだが、昨年の秋こんなことがあった。

 秋季大祭当日、私は西礼拝場に通じる廊下の下辺りで、参拝場へと流れるように入ってくる人々を眺めていた。おつとめが始まる時間にはまだ早く、神苑には献餞中の厳かな雅楽が流れていた。朝からの雨はかぐらづとめの時間が近づくにつれて弱まり、ありがたいなと思った時、西の手洗い場の方から堂々とした体格の学生さん達がやってきた。

 お揃いの紺色のブレザーがはちきれそうで力士のようだと、頼もしく思った。ところがその中の一人が、礼拝場へと通じる舗装の通路に“カーッ、ペッ”と痰を吐いたのである。一瞬にして彼への好意的な感情は消えた。

 なんで、あんなところに、身体の不自由な人やベビーカーを押すためにわざわざ整備してくださっている通路上に、痰を吐くのか。

「バッかじゃねえか。スポーツをやる前に、もうちょっとマナーを勉強せえよ」と、心の中がざわついた。「しかも、ここは神苑だ。何を考えているんじゃ」と、だんだん腹も立ってきた。そのとき、知り合いの会長さんが声をかけてきた。

「どうしたんですか、怖い顔して。」

「べつに…、人が来るのを待ってるだけだけど」

「でも、参拝している人を睨み付けているように見えますよ」

 しまった、と思った。自分は正しい。お前ら馬鹿じゃねえのかとか言って、眉間にしわを寄せ正義の使者のごとく振舞っている自分は、見方を変えれば、せっかく参拝に来られた人たちを不愉快にする存在だったのである。文句があるのなら、ぶつぶつ言う前に件の学生に注意をすれば良かったのだ。

 他人の欠点にはよく気づくが、自分のことはわからない。「あーあ……。」とため息をついた。その時ふっと、兼好法師が、ニヤリとしたような気がした。

H21.6月号 陽だまり語録 10

陽だまり語録

あってもなくてもいいけど、あったらいいな、という食後のお茶かコーヒーみたいなエッセイです。「陽気」誌連載(2008.9~2020.12) ペンネーム: ビエン.J.K

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