人はだれだって、落ち込むときがあるよね。何となくだるくて何をするのもイヤ。「ようし、頑張ろう!」と自分を鼓舞するものの気力が続かず、すぐにへこんで余計に落ち込んでしまう。こんなときは無理をせず、しばらくノスタルジックな想い出に浸ってみるのもいいかもしれない。前ばかり見ていると、どうしようもない不安に苛まれるから。
もうずいぶん前のことだが、父がまだ若くて元気だった頃、知人から四手網を借りていた。夏の終わり頃の大潮の夜、時々友人や親戚を招待して近所の海へ「四手網漁」に出かけたものだった。
四手網は、竹で組んだ骨組みの先に大きな正方形の網を固定したもので、骨組みの中央に集魚灯をつけ、定期的に網を上げて魚を取るという極めてシンプルな漁である。
ママカリ、エビ、コチ、サヨリ、べイカ…と取れる魚の名前を挙げれば「おお、凄いじゃないか」と思えるかもしれないが、実際はすべてが手のひらに乗るようなサイズばかりで、漁とは言ってもそれで生計を立てるという代物ではなかった。
私はそんな大人たちの横で、瞬きもせぬほどしっかりと海面を見つめていた。堤防にカーバイトのカンテラを置き、照射される青白い光に引き寄せられて来るベイカを柄の長い大きな網ですくい取るのである。
僅か5~6cmほどの体長しかないベイカは透明で素早く動き、これを取るにはかなりの集中力と技術が要求される。だからすくい取ったときの喜びは大きく、チッチと声をあげる透き通ったイカが限りなく美しく見えた。
当時子どもだった私は、ただのんびりと網上げを待つ大人たちが退屈ではないのかと心配したものだが、父が亡くなった年齢を超えた今、あの時間と空間がどれほど楽しかったのかがくっきりと想像できる。
気の合った人たちと海の夜風に吹かれながら談笑する。時には、お酒も飲んだかもしれない。傍らには七輪を置き、文字通り“とれとれの海の幸”を焼いて食べるのである。ゆったりとした時が流れ、心にだんだんと力が湧いてきそうな気がする。
年齢を重ねて味わえる喜びがあるならば、歳を取ることもそんなに悪くない。
たまには、スローライフを味わうのもいい。
H21.11月号 陽だまり語録 15
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