「♪おじさん おにもつ おもいでしょう」と始まる歌がある(橋本武作詞『ひのきしん』)。軽快なリズムと心がウキウキするようなメロディの名曲であるが、わが家に3人いる倅のうちの一人は、子どものころ、“おにもーつ”を“うみぼーず”と間違えて歌っていた。
「そりゃ、海坊主は重いわなあ」と私たちは大笑いしたものだった。
あれから二十数年が経ち、成人した彼の結婚式で、私は両家を代表して挨拶を述べることになった。教会長という立場上、人前でスピーチをすることは多い。しかし、代表謝辞は初めての経験である。まあなんとかなるわと高をくくっていたが、だんだんと日が近づいてくるにつれて不安感が増大してきた。
「マイクを手にした途端、頭の中が真っ白になったらどうしよう」とか、余計な心配ばかりが浮かんでくるのである。そこで御多分に洩(も)れず図書館でスピーチの本をたくさん借りてきて、原稿を作り、それを読むことにした。
ただ、私が敬愛するある先生の持論――完全原稿を作らないような横着なことはするな。完全原稿を読むような素人にはなるな――が気になった。
無論「読むな」というのは原稿を棒読みするなという意味であり、見るなということではないのだが、高慢な私は丸暗記することにした。結婚式の当日も、挙式直前まで原稿を見ながらぶつぶつと練習をした。
ところが、なんどやっても不安がぬぐえないのだ。仕方がないので「まあ、主役は自分じゃないし」とあきらめて原稿をポケットにしまおうとしたその時、
「そうか、謝辞(しゃじ)ってお礼なんだ。だったら主賓の祝辞、乾杯の音頭をとってくださる方の言葉、友人たちの励ましや映像による演出等すべてを真剣に見聞きし、参列してくださった方々全員に感謝の気持ちを述べれば良いだけなんだ」と気づいたのである。
すると心が落ち着き不安な気持ちが一掃された。つまり私は、いいスピーチをして称賛(しょうさん)されたかったのだ。そこには感謝の気持ちなど微塵(みじん)もなかったに違いない。
スピーチで感動させようとすれば、言葉が滑(すべ)るだけだ。自分の感動を素直に伝えれば、ただそれだけでいい。
H28.6月号 陽だまり語録 94
0コメント