教会で開いている「勉強おたすけ塾」の生徒が、九州方面へ修学旅行に行くことになった。「先生、お土産は何がいい?」と聞くから「そりゃあ、やっぱりビールじゃな。地ビールがええ」と答えた。
しかし、“学習塾講師(しかも天理教会長)、女子中学生にビールを要求!”などという見出しがマスコミを賑わしたら、ちょっとまずい。
そこで、「冗談、冗談、なんにもいらない。みやげ話だけでええわ。でも、カステラは嫌いじゃないけどなあ……」とさりげなく付け加えておいた。それからしばらくして「割り勘で買ったから」と、二人が土産袋をさげてやってきた。恭しく頂き、親神様にお供えして袋から取り出すと「生キャラメル風味のカステラ」という文字が目に飛び込んできた。正直に言って、私は生キャラメルというものを一度も食べたことがない。
わくわくして箱を開き、その生キャラ風カステラを一個いただいた。うーむ、普通のカステラの味である。念のためもう一つ食べてみた。やっぱり同じである。
しかし、問題は味や値段ではない。旅先で私のことを考えてくれたことへの喜びである。思う気持ちが無ければ、だれも買わない。その時間、限られた少ない小遣いから出し合って買ってくれたことが、たとえようも無く嬉しいのである。生徒たちのこんな些細な気持ちが嬉しいのだから、身上や事情に苦しむ人たちが、祈りの気持ちを誰かからいただいていると気づいたとき、どんなに嬉しいだろうかよ想像してみる。
「自分のために、こんなにも真剣な祈りをささげてくれる人がいる」そのことを感じただけでも、頼もしい気持ちになれると思うのだ。しかも、他の人のために祈る真実の心を親神様が受け取って下さり、願う心の誠に大きなご守護をくださるのである。私たちは何の疑いも無く真剣におつとめをさせていただけばいいのだ。
こんなことを執筆していたら、北海道への修学旅行から帰ってきた男子高校生が「先生、これお土産」と、言いながら照れくさそうに小さな包みを取り出した。もしかするとと期待したら、その通り。ワハハ、本物の“生キャラメル”だった。
H21.9月号 陽だまり語録 13
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