おぢばの風

 開け放たれた礼拝場の障子戸を通して爽やかな風が頬をなでてゆく。

麦秋の風は、をやを慕い「ぢば」に帰り集う大勢の人々を優しく包み込み、

つとめに心を合わせて唱和するみかぐらうたを「たすけの渦」にして空高く

舞い上げてゆく。

 処暑、こどもおぢばがえりや学生生徒修養会高校の部、心を育てる教職員の集い

などそれぞれの世代で道を求める人たちの熱気であふれる行事が過ぎ去って

月次祭までの僅かな期間に生まれる静かな時間。

真東棟の吹き抜けに座り正面にそびえる東礼拝場の大甍と

その上空にぽっかりと浮かぶ雲を眺めていると、

心地よい風が汗ばむ体の熱を奪いながら飄々と通り抜けて行く。

 あるいは夕暮れ、青空をくっきりと白く切り取っていた夏雲もいつしか消え去り、

神苑につかの間の静寂が訪れる頃、回廊拭きのひのきしんをさせて頂く。

 カナカナカナ……と、昼間の喧噪が嘘のようにひっそりとした長い木の回廊に

ヒグラシの鳴き声が染み透る。雑念を払い、額に汗を浮かべて回廊を磨く。

心には、親神様から元気な身体をお貸し頂いている喜びだけがある。

 教祖殿までたどり着くと、衣服を正し深々と頭を下げる。

すると、まるで「ごくろうさん」とお声がけ下さるような

清涼な風が、汗ばむ背中の上をサアッと拭き抜けて行くのである。

 ひのきしんを終えた清々しい気持ちで西回廊を神殿へと歩を進めつつ

右手を眺めれば、「憩いの家」上空に沈む夕日に染め上げられた黄金、茜の

雲が浮かんでいる。美しい大和の景色である。

 しかし、親里には美しい季節の風景や四季折々の風だけがあるのではない。

春夏秋冬、それぞれの季節に吹く風があるように、それぞれの旬に「をや」からの風

が吹いているに違いない。

 その風を、素直な心で受けて旬の追い風に乗るか、あるいは理屈をこねて逆風と

するか、それは我々の受け方次第、すなわち心の持ち方一つなのかもしれない。

 と言いつつ、妙なところで意固地になり、へ理屈が多くあまり素直でない私は、

斜め向かいの風を受けて遠回りする結果となり、いつも後悔している。

いつの日か「向い風の後悔」ではなく「順風の航海」がしてみたい。

H23.12月号 陽だまり語録 37

陽だまり語録

あってもなくてもいいけど、あったらいいな、という食後のお茶かコーヒーみたいなエッセイです。「陽気」誌連載(2008.9~2020.12) ペンネーム: ビエン.J.K

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