高校時代、私は化学が大の苦手だった。英語ではケミストリーというこの化学の先生を、私たちは密かにナフタリンと呼んでいた。年配の方なら衣服などの防虫剤として覚えておられる方が多いと思うが、つまり“虫が好かん”ことに由来している。
最近ナフタリンをインターネットで調べてみたら「ベンゼノイド多環芳香族炭化水素 (PAH)に分類され、その構造式は…」とあり、六角形が合体して細いしっぽが生え、そこに数字やアルファベットが記された図が付記されていた。相変わらずさっぱり分からない。本当は大変面白い教科なんだろうけど、基礎でつまずいたもんだから苦手になってしまったのである。
それなのになぜ、タイトルがケミストリーなのか?ここで意味するケミストリーは化学ではなく、アメリカンフットボールなどで用いられる言葉で、チーム内における信頼関係と結束力の向上によって、ゲームにおいてデータだけでは予測できない好結果を生みだすような場合のことである。
たとえば高校野球の甲子園大会で、大会前にはまったく注目されなかった高校が、相手校や戦術などの研究とチームワークの向上により、一戦ごとに自信を持ち、優勝候補を次々となぎ倒す旋風を巻き起こすことがある。これなども一種のケミストリーかもしれない。したがって、ケミストリーは決してまぐれではない。絶え間ない努力と研鑽の積み重ねによって起きる“組織内人間化学反応”なのである。
このようにケミストリーはクールなーーーかっこいい言葉であるが、私たちはもっと素敵な言葉「一手一つ」を教えていただいている。
一手一つとは集団行動のように基本的には全員が同じことを同時に行うのではない。一人ひとりのすることは違っていても、お互いが自分の能力や立場を生かして助け合うことである。ただ、それは己が力だけを頼りにするのではなく、「真の一手一つの理は、神を信じて人をたすける心になるところにのみ自ら生まれてくるのであります(岸義治著 天理教用語辞典・養徳社)」
それぞれのグループに、ケミストリーが起こればいいなあ。
H28.5月号 陽だまり語録 93
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