今年の7月上旬、西日本を襲った豪雨は各地に甚大な被害をもたらした。
筆者の住む倉敷市においても真備(まび)町で大水害が発生し、51人もの尊い命が奪われた。浸水地域は町全体のおよそ4分の1にも及び、約9千世帯のうち4千棟以上が浸水被害に遭った。
テレビや新聞、ラジオ、インターネットなどを通してこの水害が報道されると国内はもとよりハワイ、アメリカ、カナダ、香港、フィンランドなど世界各地からたくさんのお見舞いの電話やメールをいただいた。とてもありがたく感謝した。
私の住む地域は幸運にも被災地より少し離れていたので大きな災害は起こらなかった。しかし、真備町やその周辺地域には、友人や知人がたくさん住んでいる。友人たちだけではなく他の被災された方々のためにも何かさせていただきたいと願っていた時、天理教災害救援ひのきしん隊が出動することが決まった。
その頃の気温は連日40℃近く、猛暑日が続いていた。年齢を考慮して心配してくださる方が大勢いたが、矢も楯もたまらず災救隊に志願した。
救援活動で初めて被災地に足を踏み入れた時、言葉が出なかった。水はほぼ引いていたが、いつもの見慣れた風景が一変していた。私たちは、アルミ工場の水蒸気爆発による爆風と浸水という二重の被害を受けた地域で活動した。くたくたになりながらも何か人様のために直接役に立っているという喜びがあった。
その後、8月には災救隊に再度参加した。壁の泥落としや天井の解体など結構危険できつい作業だった。体中泥だらけになり、ひのきしん後の充実した気持ちを抱いて現場から帰る途中、一般のボランティア方々が道の泥を除去している現場を通り過ぎた。
そのとき、自分自身の微妙な心の変化に気づき動揺した。無意識に「我々はとても有意義なひのきしんをしているのだ。君たちとはちがう…」という上から目線で彼らを見ていたのだ。猛暑の中での活動を褒められ、感謝され、社会的にも高く評価されているうちに思い上がっていたのかもしれない。私はふと、ある情景を思い出した。(次号に続く)
H30.12月号 陽だまり語録 124
▲シルバー戦隊・ヨレヨレンジャーの皆さん
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