続・まごの手救援ひのきしん

 平成15年6月、天理教教会本部で「西境内地拡張整備ふしん土持ひのきしん」が始まった。教祖120年祭に向けての活動の一つだったと記憶している。

 重機を使えば短期間で済んでしまう土木工事を、人が「もっこ」を担いでするのだから、ビジネス的に考えればまことにコストパフォーマンス(費用対効果)の低い活動であると思う。しかし、そこには決してコスパいう考えだけでは計れない意味と喜びがあった。神様からの借りものである体を使い、おぢばのふしんに伏せこませていただいている喜びがあったのだ。

 ある夏の日、別席を運ぶために帰参した甥っ子とこのひのきしんに参加した。そこで私は、ある女性の姿を目撃して目頭が熱くなった。車椅子に乗った彼女は膝の上に白いハンカチを置き、その上に乗せた僅かな土を落とさないように大切に、何度も運んでいるのだった。これこそが信仰の喜びなんだと実感した。

 だから猛暑の中、被災地で真剣にボランティアに励む人たちのことを、たとえ一瞬でも見下した自分の心の驕りは、この行いをも笑ってしまうことなのである。なんという心の貧しい人間なのかと、自分を恥じた。

 さて、岡山教区災害救援ひのきしん隊は第4次隊をもって平成30年7月豪雨被災地への救援活動を終了した。私は反省を踏まえて何か小さなことでも良いから支援をさせて頂こうと決心した。情報を集めて必要な物を必要とする方に届けること、かゆいところに手が届く「まごの手」のようなひのきしんをしたいと願った。

 すると不思議なことが次々と起こってきた。避難所などで使用できる一人用断熱シート200本、新品同様の家財道具や電化製品、驚くほどたくさんの新品の日用雑貨、食料品等、被災した方が直ぐに必要とされるものを無料で提供してくださる方々や、支援活動への協力金を寄付してくださる方々が現れたのだった。私たちはそれらの支援物資を必要とされる被災者の方々に届けるだけ、まさに「まごの手」のようなひのきしんができたのである。

 心を決めて動けば神様が働いてくださる、本当にありがたいなあと改めて実感した。

H31.1月号 陽だまり語録 125  

陽だまり語録

あってもなくてもいいけど、あったらいいな、という食後のお茶かコーヒーみたいなエッセイです。「陽気」誌連載(2008.9~2020.12) ペンネーム: ビエン.J.K

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